青春とか

spoutnik2005-08-26

最近、日本語で読むものがなくなってきたので、部屋にあった河合隼雄の「青春の夢と遊び」を読む。どうしても日本語を読みたいのですな、困ったことに。
河合隼雄氏の本は初めて読んだのだけれど、けっこうすんなり入って来た。自分自身が大人になりきっていないのか,「若者はどうのこうの」と頭ごなしに書いてある本はどうも受け付けないのだけれど、この本は「大人になりきってない」けど、いい歳(まぁ私?)な青年期について、すごく歩み寄って書かれていて、共感できる部分が多々あった。
この本をきっかけに、「私の青春」ってことをたまに考える。いつからいつまで青春だったのかしら,と。で、きっと、15歳くらい(バンドを組んだりしていた)から、25歳くらい、かな、と。実に10年もの青春期!さぞかし満喫したのか、と思えば,そんな気もしない(あっという間すぎ)だけど、人生例えば80年生きたとして、人生の8分の1は青春。悪くない確率なんじゃないかしら。と思う。
今も青春よ!と言いたいところだけれど、この10年間の自分のあり方、考え方,物の捉え方、全てが、今のそれとは何か一線を画している気がするので、敢えてそれは言わないでおく。
うまく言えないけれど。。。青春を生きていた時期は「いつだって死ねる!」みたいな強がりがあった気がする。それだけ毎日、一瞬一瞬を精一杯生きていると信じていたし、それを失う可能性について考えることもしなかった。
26歳の時に、「いま死にたくない!」って本気で思う瞬間があって、それをきっかけに(?)いろんなことが保守的になった。それがわたしの「青春の終わり」なんじゃないかなぁ。
えーと。で、分かりやすい例を挙げると。25歳の時に初めてフランスに来て,「Paul」(日本にも進出してますね)の「フロマージュブランのタルト(写真)」が、えらい美味しいと感じたわなのです。でも、今回やってきて、しばらくPaulを観察してもなかなか出てこない、やっと店頭に並び始めて買ってみたら,「・・・別にそんなに美味しくない」。
配合が変わったのか(あり得ます)、味覚が変わったのか,今の時点では何とも言えないけれど、この「青春世代に美味しいと思われる味覚」って、意外と限られているのでは?という発見。
確かに,青春時代にあんなに愛したあれやこれや、今ではたいして食べたいとも思わない。(もちろん例外はある、ex,鳥ちゃんの角煮)
だから、敢えて,自分の青春前と、青春後を見比べて,自分の中で変わってない部分を見つけること、これが最近のわたしのテーマであって,この先突き詰めていきたいテーマなのである。